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OC座談会-日米トップ・オピニオン・リーダーの会談-- 学術情報

OC発売50年が経過した米国から日本が学べること

出席者:

北村 邦夫 先生
(社団法人日本家族計画協会常任理事 *司会)

レオン・スペロフ 先生
(Professor Emeritus of Obstetrics and Gynecology/Oregon Health & Science University)

セン・スペロフ 夫人
(元助産師)

早乙女 智子 先生
(神奈川県立汐見台病院産婦人科産科副科長)

「OCの父」―グレコリー・ピンカスと女性の避妊への切実な願い

北村:

本日は、米国において低用量ピル(OC)への造詣が深いスペロフ先生ご夫妻をお招きして、OC発売50年を経過した米国から日本が何を学べるのかを中心に、早乙女先生を交えて議論していきます。
スペロフ先生は、OC開発の最大の貢献者であるグレゴリー・ピンカス氏の記録ともいえる『A Good Man:Gregory Goodwin Pincus』の著者でいらっしゃいますが、先生にとって彼はどのような人物だったのでしょか。

北村邦夫先生

レオン・スペロフ:

私がウースター財団実験生物学研究所を訪れたときには、彼の死後1年が経過しており、直接合う機会は残念ながらもてませんでした。しかし、彼の同僚を通じて感じたことは、ピンカスはカリスマ性があるだけでなく、皆に尊敬され、愛された人物であったということです。そして私自身、彼の著書を読み、移民の子供として生まれた生い立ちや、そのドラマティックな人生に共感し、是非ともその物語を残しておきたいと思ったのです。

ピンカスは「OCの父」と呼ばれています。しかし、彼自身はそう呼ばれることを決して望んでいませんでした。なぜならば、彼は進歩とは一人の力で成し得るものではなく、前人が築き上げた成果の上に積み上げてこそ初めて達成できることを十分に承知していたのです。そして、彼はチームのメンバーの重要性もきちんと認めていました。総額200万ドルにも上る資金提供をしたキャサリン・マコーミックについても同様で、単なる出資者ではなく、科学に深い造詣のある素晴らしい女性として認識していました。
米国では1960年6月26日にOCが承認されました。マコーミック、そしてピンカスがいたからこそ、われわれはこれほど早期にOCを手に入れることができたのです。

北村:

日本ではピンカスらよりもマーガレット・サンガーの方が有名ですが、彼女はどのような役割を果たしたのでしょうか。

レオン・スペロフ:

彼女は、OCのアイディアをピンカスの頭の中にインプットした人物と考えてもよいと思います。
米国にまだ家族計画協会がなかった時代、サンガーはニューヨークで夕食会を開催し、その席でピンカスを交えて初めて米国の生殖医療について話をしました。そして、彼女はその場でピンカスに「3,000ドル提供するので、何か始めなさい」と提案しました。しかし、3,000ドルが十分な額ではないことが、彼らも承知していました。そこで、サンガーは長年の友人である大富豪のキャサリン・マコーミックにボストンに来るように手紙を出しました。マコーミックはピンカスとの会合の中で、即座に2,000ドルの小切手を書き、その後も資金面で援助を続けたのです。つまり、マコーミックに「女性の避妊」に興味をもたせ、OC開発を始動させた人物こそがサンガーだったのです。

セン・スペロフ:

それらの重要人物が米国に集結したこと以外に、「妊孕性を自ら管理したい」という女性の切実な思いが社会的な機運として高まりをみせていたこともOCの開発・承認に少なからず影響をしています。
OC開発当初、レオンとある会合に出席したときのことです。「是非そのOCを私に送ってください。自分の人生をコントロールしたい。もう9人も子供がいるのです。もう1人も欲しくない」といった、悲痛な叫びが綴られた手紙がピンカスに数多く届いていました。その時代、米国ではいくつもの州が避妊を違法としていたのです。

宗教、政治、フェミニズム、利権―
承認後も困難を極めたOC普及への道

北村:

ピンカスの共同研究者であるジョン・ロックは経験なクリスチャンだったそうですが、どのような経緯でOC開発の協力に至ったのでしょうか。

レオン・スペロフ:

ピンカスと産婦人科医のロックは長年の知り合いでした。ロックは手術した女性から採取した卵子を用いて体外受精を試みていましたが、それはピンカスがウサギの実験で用いたものでした。
1952年に、ピンカスがロックに「ホルモン投与による避妊」のアイディアをもちかけたときも、彼は既にプロゲステロン投与によるリバウンド現象を利用した不妊症治療に成功していました。その深いつながりを背景に、ロックはOCの臨床試験を主導しましした。さらにOC承認後の5年間はもっぱら教会からの非難の矢面に立ちながらOCを擁護し、説得に当たりました。彼が1920年代に記したrhythm methodが1931年にローマ教会に容認されたことを背景に、OCによる受胎調節で妊娠を避けることも「自然」であると主張したのです。

北村:

米国ではOC承認から50年が経過しましたが、現在、OCはどのような位置づけにあるのでしょうか。

レオン・スペロフ:

米国での承認後、OCには数々の困難が待ち受けていました。さらには、市場からの撤退という危機にすらさらされたのです。それには2つの要因がありました。
一つはOCの安全性に疑問を呈する人々が、ピンカスらが承認時に提出したデータに対し、「試験の規模が小さい」と非難したことが挙げられます。もう一つは、1970年代に臨床試験がプエルトリコで行われたことに対して、フェミニストから「貧しい国の女性で実験した」と非難を受けたことです。もちろん、ピンカスらにはそのような意図はありませんでした。その当時、彼らの研究室のあったマサチューセッツ州では避妊が違法でした。そのため、やむを得ず研究者仲間の一人の紹介でプエルトリコを訪れたのですが、現地の家族計画協会や市長らの歓迎のもとに臨床試験が実現したという経緯があったのです。
しかし、こうした反対派の動きにより、OCの販売量は確実に低下していきました。それにもかかわらず市場からの撤退を免れたのは、その一方でOC支持者も多く存在したためです。その後、科学的なデータの蓄積によりOCへの理解はさらに広まり、1980年代になってようやく広く受け入れられるようになったのです。

OC承認後10年間の日米の相違点と
時代の流れに伴う女性の意識の変化

北村:

それ以外に、米国でのOCについて何かありますか。

セン・スペロフ:

OC承認後10年目での米国と日本の大きな相違は、その当時の米国では避妊の選択肢が限られていたことです。

セン・スペロフ夫人

レオン・スペロフ:

そしてやはり、OCがベストチョイスであったからこそ、生き残ることができたと思います。

早乙女:

日本でもOCが承認された当時は、OCかコンドームかという2つの選択肢だけでしたが、10年経過した現在は、子宮内避妊器具(IUD)や子宮内避妊システム(IUS)も選ぶことができます。

北村:

中絶に対する考え方の相違も大きいと思います。以前、ニューヨークを訪れたとき、米国のフェミニストが「私たちはOCの副作用についてよく理解している。中絶が容易にできない国にあって、自分を守る道としてOCを選択せざるを得なかったことが、私たちがOCを手にする大きなきっかけになった」話してくれました。一方、日本では当時は「優生保護法」(現:「母体保護法」)として中絶が法律によって認められているのです。

セン・スペロフ:

また、世代によってOCの捉え方が違うことも実感しています。私たちの世代にとってOCは「女性が自ら妊娠をコントロールできる」、「カップルにより自由度を提供する」感謝すべき薬でしたが、私の娘の世代は異なった見方をしていて、OCを毎日服用するのが面倒だと言っています。そして、注射薬やIUSの方をより簡単な避妊法として興味を抱いているのです。

早乙女:

日本では1970年代は、ステロイドホルモンの副作用に対する懸念が強く、OCの受け入れが困難な時代がありました。しかし、今の若者ではそうした先入観はなく、OCは「自分に必要な手段」との考えが自然に備わっていて、エビデンスを示せば多くの方が納得します。

良質な性教育、OCへのアクセスのしやすさ、
正しい知識と情報の提供がOC普及への近道

北村:

OCを普及させていくためには、性教育を含めて正しい情報を伝えていくことが必要だと思いますが、スペロフ先生はどのようにお考えでしょうか。

セン・スペロフ:

OCを含めて、避妊方法はますます簡単になっていますが、「性交渉に関しては自分で責任をもたなくてはならない」ことを引き続き強く訴えかけていく必要があると感じています。

レオン・スペロフ:

米国で統計を取り始めた1976年以降、10代の妊娠率は減少を続けており、そのうち約80%強は避妊薬の有効利用によると考えられています。一方、ブッシュ政権下で禁欲のみの性教育が推奨されたとき、それに従った州では10代の妊娠率の上昇がみられました。このことからも、性教育においては多様なオプションを提示することが大切であることを痛感しています。

北村:

加えて、OCの入手しやすさも重要になると思います。北欧や英国では、希望する10代の若者にはマイナートラブルが落ち着くまでの3?4周期分のOCが無償で提供され、その後も格安で入手できるシステムが採られてします。日本には国民皆保険という優れた制度がある一方で、避妊や中絶に関する費用はすべて自己負担になっています。つまり、日本や米国の若者が確実な避妊を手に入れようと思うと、決して軽くはない経済的負担を強いられることもOC普及の足かせになっていると感じています。

レオン・スペロフ:

米国では女性の避妊法の約30%がOCで、若者に限ると53%を占めています。他国と比較してOC普及率が低い理由として、生殖年齢にある女性の27%が不妊手術を受けていることが挙げられます。なぜなら、米国では不妊手術は保険適応があり、無料で受けることができるからです。

早乙女:

患者さんが避妊法を選ぶためには、様々な選択肢について時間をかけて説明する必要があると思いますが、米国では看護師が担当するのでしょうか。それとも医師が話をするのでしょうか。

レオン・スペロフ:

米国の保険・医療制度下では、残念ながら医師は患者と十分に話す時間はありません。そこで、患者と話して、予備知識を与えるという役割は看護師が担っているのです。ただし、システム化された方法はありませんので、情報を求める患者さんがインターネットなどの誤った情報に振り回されることも少なくありません。こうした状況を避ける唯一の方法が学校での包括的な性教育であると考えています。

セン・スペロフ:

学校だけでなく、雑誌やインターネット、パンフレットなど、様々な方法で良質な情報を提供することが大切だと考えています。

レオン・スペロフ:

医師の考え方を変える最も有効な方法は、患者さんへの教育です。ですから妻(セン・スペロフ)が言うように、一般の女性や患者さんに対する幅広いアプローチや教育が重要です。

セン・スペロフ:

診察室で、「自分の求める避妊法はこれである」と主張し、医師と対等に議論し、親密なコミュニケーションを図るためには、十分は教育が必要です。もちろん、医師側にも質問しやすい雰囲気づくりが求められます。
また、親の教育も大変重要です。避妊に対して責任をもち、その準備をさせるためには、性教育は2歳頃から始めるべきだと考えています。そのためには、例えば娘をもつ患者が婦人科を訪れた際には、「娘さんと性についてどのような話をされていますか。OCや避妊の話をされていますか」と医師の側から尋ねることも有効です。とにかく、あらゆるチャンスを逃さないことが大切です。

早乙女:

日本では薬剤師が性や避妊に関する知識、OCへの理解が不足しているために、OC処方箋を持参する人に対してネガティブな対応をすることがあるようです。米国ではどうでしょうか。

レオン・スペロフ:

米国の薬剤師はより積極的になろうと努力しています。ただし、薬局という公の場で若い女性がOCの話をするためには、プライベートな空間を設ける必要があるでしょう。

中絶直後の避妊、OC副効用の情報提供―
IUDを含めた効果的な避妊法推進のためのチームアプローチ

レオン・スペロフ:

現在、米国では「中絶直後の避妊を推進する」という新たな動きが始まっています。例えば中絶直後にIUDを挿入する、OCあるいは注射剤を開始するというものです。中絶手術のときには、誰もが二度と繰り返したくないと思っているので、避妊を開始するには最良のタイミングといえます。
そもそも、婦人科以外の医師の多くは、コンドームによる避妊の失敗率を知らないのです。米国での失敗率は26%と極めて高率なのです。医師の仕事とは、そうした実態を知った上で、避妊が目的ならばより効果的な方法があることを患者に知らせることではないでしょうか。

レオン・スペロフ 先生

北村:

日本でOCの服用者に対して満足度調査を行ったところ、97%が「満足」と答えています。おそらく、避妊効果だけでなく、副効用の恩恵を実感していると思います。OCの服用経験者がキーパーソンとなって情報提供を行う流れができれば、OCの普及に拍車がかかるのではないかと期待しています。米国ではOCに副効用に対する一般の評価は高いのでしょうか。

レオン・スペロフ:

残念ながら患者さんにOCの副効用をお伝えする時間がないというのが本当のところです。そればかりか、内科医はもちろん、婦人科医でさえも副効用について知らない人が多いと思います。

北村:

医師だけでなく、コメディカルが積極的にOCの指導の当たることが大切ですね。

セン・スペロフ:

米国では、産婦人科学会などにも数多くの看護師が参加しています。そして、チームアプローチをとっていることが米国での成功の秘訣だと思います。

北村:

日本では家族計画協会が約10年前から、医師とコメディカルを対象とした「OC啓発セミナー」を開催しており、既に6000名近い人が参加しています。このような方法は間違えていないように思います。

北村:

日本ではOC同様、IUD/IUSの普及も進んでいるとは言えない状況にありますが、米国ではいかがでしょうか。

レオン・スペロフ:

2002年の時点でIUDを使用している女性は2%でしたが、この5年でIUDの普及率は着実に上昇してきています。ただし、10代の女性にとって約600ドルの費用はやはり高額です。また、臨床医のなかには、いまだにIUDが感染症や不妊症の原因であると誤解している人が存在するのも問題の一つです。

早乙女:

当院では年間約800件の出産を扱っています。3人目、4人目の妊婦検診の際にも「もう子供をつくるつもりはない」という方にIUDを勧めています。「ベビーカーを買わずに8万円貯金しておいてね」などと話して、避妊の話題につなげます。

レオン・スペロフ:

大変すばらしいアプローチだと思います。ちなみに、中絶時のIUD挿入のタイミングを検討している、いくつかの臨床試験が進行しています。中絶直後に挿入した群と、挿入を遅らせた群との比較では、前者の方が適切であることがわかってきています。

早乙女:

その場合、遺残や胞状奇胎などは想定しなくてもよいのでしょうか。

レオン・スペロフ:

その確率は極めて低く、万が一そうした問題が発生しても、IUDを挿入したままで治療が可能です。

HRT使用率が高いOCの使用者・経験者―
OCを婦人科・女性医療拡大のきっかけに

北村:

OCの普及は結果的にHRT普及につながるのではないかと期待していますが、米国ではOCからホルモン補充療法(HRT)への移行は一般化しているのでしょうか。

レオン・スペロフ:

米国では長期間にわたってOCは35歳までの女性にしか使用できませんでしたが、1980年代後半になり、ようやくそれ以上の年齢でも使用できるようになりました。現在、米国ではOCを閉経まで用いることは一般的であり、統計上も継続してOCを使用している人、あるいはOCの服用経験者はHRTの使用率が高いことが示されています。

北村:

日本では、OC、HRTともに処方薬です。言い換えれば、婦人科を訪れる患者の多くがOCやHRTの服用を開始するチャンスをもっているわけです。つまり、様々な目的で来院した患者さんに対し、積極的にOCやHRTの話をすることも必要ではないかと考えています。米国ではそのような関わり方をされていますか。

レオン・スペロフ:

限られた診察時間内では、来院の目的を聞き、それに対処するだけで精一杯なのです。そのため、医師の側から積極的に勧めることはしていません。もちろん、それでは予防医学へと結びつかないので、望ましい状況とはいえません。

北村:

日本においてOC発売から10年が経過した現在、OCを一つのきっかけとして女性医療の拡大を図る必要性を感じてします。そこで障害になるのが、「婦人科は敷居が高い」というイメージです。どうしたら、女性が婦人科の門戸を叩きやすくなるのか、アドバイスをお願いいたします。

レオン・スペロフ:

例えば、10代の女性にOCをどのように提供するのか、日本人の婦人科のポリシーはどのようになっているのでしょうか。米国ではOCを処方する際に、バップスメア(子宮頸部細胞診)や骨盤検査をしなければなりません。これが10代の女性にとっては障害であり、婦人科の敷居を高くしている原因でもあります。OCなどの避妊法の提供には、まずは患者と医師との間の関係性を築くアプローチが必要です。

セン・スペロフ:

10代の女性が、母親が行く同じ婦人科に行かなければならないとしたら、それは秘密性を保持する点からも望ましいとはいえません。若い女性にとって安全な場所が必要なのです。一つの成功例として、ティーンエイジ・クリニックというのがあります。例えば木曜日の午後を10代の専門外来にして、女の子同士、あるいはボーイフレンドを連れて、リラックスした雰囲気の中で話を聞ける環境を作ります。一度に大勢で話をすることができるので、時間の短縮になりますし、そこで受けた質問の答えは、みんなで共有することができるのです。

セン・スペロフ夫人

レオン・スペロフ:

婦人科医が女性の健康を守る主治医となるためには、待ちの姿勢ではいけません。医師が自ら外に出て行って、コミュニティに手を差し伸べ、学校に足を運んで若い女性たちと話をして、自分の顔を知ってもらい、より親近感を感じてもらう努力が必要です。

北村:

HRTの普及を考えた場合、若者に限らず、幅広い世代の女性が来院しやすい環境を作る必要がありそうですね。

産婦人科領域の魅力は
女性・社会、そして世界に貢献できること

北村:

最後に、日本の若い医師やコメディカルに向けて、婦人科医の魅力、あるいは家族計画や性教育の面白さについてメッセージをお願いいたします。

レオン・スペロフ:

医学の中で産婦人科ほど、広範な影響を及ぼすことのできる領域はありません。それは個人に対してだけでなく、社会や世界に対してもそうです。新生児に始まり、STD(性感染症)という社会的な問題、そして人口管理においても私たちは貢献できるのです。それが婦人科医のユニークな側面であり、魅力であると感じています。

セン・スペロフ:

女性の教育的なレベルが高まれば高まるほど、女性として、さらには人間としての誇りを高めることができます。「女性にはいくつもの選択肢があり、最良の選択をする決定権は自分にある」ことが保障され、実感できることは大きな力となります。私たちは10代の若者をそうした女性へと導くこともできるのです。

北村:

1994年にエジプト・カイロで開催された国際人口開発会議でも、同じことが話題になり「性と生殖に関する健康と権利」として世界的な合意に達しています。女性のエンパワーメントを高めることが、家族計画・避妊・人口問題に対しても極めて大きな影響を及ぼすのだという、大変素晴らしいメッセージを頂いたのです。

早乙女:

避妊というジャンルが産婦人科領域においてさえ、明確に確立されていないことも、婦人科医を受診しにくくしている原因の一つかもしれません。また、OCをもらうついでにバップスメアをするのではなく、避妊と健康管理に分け、女性が欲したときにいつでも提供できるような環境づくりも婦人科医の役割であると感じてします。

北村:

本日は、OCに関して造詣の深い日米の第一線で活躍されている先生方にお集まりいただき、米国での歴史を通じて、日本においてさらにOCを普及させるためのヒントを頂戴しました。本日の座談会を通じて、日本の今後の10年を思い描くことができたように思います。ありがとうございました。

北村邦夫先生 レオン・スペロフ先生 セン・スペロフ夫人 早乙女智子先生

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Last Updated:2013/09/30 L.JP.MKT.WH.02.2017.0860